今年の4月28日から5月5日までの8日間をかけて、台湾旅行をしてきました。これは、私と同業の福山孔市良弁護士が企画したもので、参加者は総勢15名でした。
これまで福山さんが企画する旅行は、その多くはヨーロッパでした。それだけに台湾と聞いた時には、なんとなく奇異な感じがしたのですが、しかし考えてみれば、これほど日本の近くにありながら、台湾について知っていることはほとんどないことに気づき、この際ぜひ行って見ようと思ったのです。
4月28日午前10時、関空を飛び立ち、約3時間で台北の桃園国際空港につきました。空港からバスで約5時間、最初の目的地である日月潭に向かいました。日月潭は、台湾の代表的な観光地の一つです。 日月潭に2泊し、つぎに、台湾中部の阿里山に行きました。阿里山の私たちが宿泊したホテルは、標高2200メートルのところにありました。これもまた観光地であり、その辺りには、たくさんのホテルがありました。日本で標高2200メートルと言えば、いわゆるお花畑とはい松ぐらいであり、およそ高い木などはありません。ところが、ここ台湾では2200メートルの高さであっても、樹齢300年とか600年というような杉やヒノキが生えており、それらが鬱蒼とした森を作っていました。
翌日は、さらにそこから400メートルほどあがった、塔塔加(タタカ)というところに行きました。それは、ここから玉山が見えるということで、それを見るために登ったのです。玉山は、日本が植民地として台湾を統治していたころは、新高山と呼んでいた山です。その日は、あいにくの小雨交じりの天気のため、残念ながら玉山を見ることが出来ませんでした。玉山は、日本の富士山よりも高く、標高3952メートルです。 この阿里山までは、ふもとの嘉義から鉄道が敷かれていました。その長さは約70キロで、日本の統治時代に日本政府が、この阿里山からヒノキや杉を伐採して日本に運ぶために敷設したとのことです。私たちがこの阿里山の周辺をハイキングしたときに、樹齢300年とか600年といった巨木を目にしたのですが、ガイドさんの説明では、日本統治時代の頃には、そうした巨木が無尽蔵にあったようです。戦前の日本政府は、これらの大半を切り出してしまったとのことです。
こうして私たちは、台湾南部の高尾、東部の花蓮、そうして最後に台北へと旅をつづけました。
台湾は、日清戦争後の下関条約で1895年に日本に割譲され、以後、第二次大戦で日本が負けた1945年までの50年間、日本は、植民地として台湾を統治してきました。その植民地支配は、他の例にもれず過酷を極め、そのため、日本政府は、しばしば現地住民の激しい抵抗、反抗に会いました。それは、かって日本が朝鮮を植民地支配した、その統治の仕方と全く変わりはありませんでした。
ところが今回、台湾旅行をして感じたことは、それにもかかわらず日本に対する反感、反日の感情が台湾の人から受けなかったことです。もとより8日間の旅行であり、私たちが話をしたのは、台湾人のガイドさんだけであってみれば、これで全体を推し測ることはいささか無理があるかもしれませんが、それでもそうした印象が強く残りました。たとえば、台湾中部でダムを作った日本人の技師、インドから紅茶の苗を輸入して台湾の産業とした日本人、阿里山に鉄道を敷いた日本人、などの銅像や記念碑が今もそのまま残っていることは、反日というよりむしろ親日という印象を残すものでした。
それはなぜか。戦後日本が統治権を放棄したあと、1945年以降台湾は、蒋介石が率いる南京政府の統治下にありました。蒋介石は、台湾を統治する機関として台湾行政公所を設置し、その要所は中国本土からきたいわゆる外省人が独占しました。しかしそれらの役人達の腐敗、堕落は目を覆うばかりであり、それは台湾人(本省人)の強い怒りを呼び起こしました。かくて1947年2月28日に本省人の民衆が蜂起し、いわゆる2.28事件が起こりました。蒋介石は、この民衆の蜂起を徹底的に弾圧し、戒厳令を発令し、台湾に恐怖政治を敷きました。この戒厳令は、以後40年の長きにわたって続けられました。蒋介石の国民政府は、台湾人の抵抗意識を奪うため、知識階層、共産主義者など実に数万人を処刑したといわれています。蒋介石が、毛沢東に追われて台湾に逃げ込んだのは1949年であり、2.28事件は、蒋介石が台湾に逃げ込む前の出来事でした。
蒋介石の統治下にあったこのような状態を見て、台湾の人々は、「犬(日本人)が去って、豚がきた」と言ったそうです。今日、台湾の人達が日本人に対して、反日ではなく、むしろ親日とも思われる対応をするのは、あるいは、蒋介石よりはまだ日本の統治の方がマシだった、と言う思いが続いていたのではないかと思われます。
こうして、私たちの台湾旅行は、南部の高雄、東部の花蓮と巡り、最後に台北で一泊しました。台北では、中正堂という蒋介石を顕彰する大理石で作られた高さ数十メートルもある大廟堂を見物に行きました。中には、巨大な蒋介石の座像が鎮座していました。何となく、北朝鮮の金日成の巨大な銅像が思い浮かんできました。
八日間の台湾旅行は、あいにく天候には恵まれず、ときどき雨が降り、ちょっと青空が見えると言った具合で、ちょうど日本の梅雨時を思わせるものでした。しかし、料理は、これまでのヨーロッパ旅行と違い毎回食べきれないほどでした。と言うわけで、それなりの楽しい旅行でした。