そのウサギが町内で最初に目撃されたのは昨年4月、隣家の庭でのことだった。すぐに姿を消したので、隣家の奥さんは最初は幻覚かと思っていたところ、2度目の出現に際して夫に声をかけたところ、それを目にした夫は驚きつつも、あれはウサギに間違いないと断言したとのことであった。
そのウサギが我が家の庭に出現したのは5月のことで、窓越しに目にした妻が庭に出たところ、たちまち目の前から消えてしまったそうだ。実際に消えたのではなく跳躍して逃げたのであろうが、妻からすると消えたも同然で、呆然として空中を見上げたそうだ。私が目にしたのはそれから数日後のことで、雨に煙った庭の片隅に、長くピンと立った耳が特徴の茶色のウサギがうずくまっていた。まるで絵本から抜け出たような愛くるしさである。ウサギは、早朝と日没頃に見かけることが多く、その日から、夜明けと同時に庭を見わたしてウサギを探すことが日課となった。
このウサギは野ウサギなのか、どこからか逃げてきたペットなのか、ネットで調べてみると、ニホン野ウサギの姿と全く一致する。私は、これまで2回ほど山の中で野ウサギと遭遇したことがあるが、警戒心が強くて驚くほど敏捷で、なによりも野生特有のオーラをまとっていた。自宅に現れたウサギも同様で、野ウサギであることを確信した。
ウサギは、たちまち近所の話題となり、スマホで撮影された動画や写真が直ちにLINEで交換された。なかには、植えたばかりの花苗を2度にわたって全滅させられ今度は許さないと言っている人もいたが、多くの住人が自宅へのウサギの来訪を心待ちにするようになった。
我が家では、当初、ウサギは黄色の花を好んで食べているようだったが、それがなくなるとパセリや庭の雑草を食べ、その後、決まった場所に丸い糞を残すようになった。どうも我が家だけがトイレにされているようだった。
しかし、7月に入ると見かけることがなくなり、近所の高校生が夜8時頃に道路を走っているウサギを見たというのを最後に、ぱったりと目撃情報は途絶えた。
街の暑さに耐えかねて山に帰ったのだろうか。野ウサギは食物連鎖の最低辺に属しタカやキツネに食べられてしまうことが多いらしく心配である。今年の春には再度、訪れて欲しい。できれば子どもを連れて。