30年前、海外旅行先で、私はジャパニーズであるとわかってもらえた。海外旅行をしているアジア人のほとんどがジャパニーズだったからだ。
20年前、チャイニーズかと聞かれるようになった。膨大な数のチャイニーズが世界を回り始めたからだ。コリアンもジャパニーズも旅行をしていたが、人数と経済力でかなわなかった。
そのころ、コリアンやチャイニーズの友人と、「ねえねえ、どうやって、ジャパニーズ、コリアン、チャイニーズだって判別する?」という会話をしていた。答えを出すのはなかなか難しかった。そのちょっと前までは服装、持ち物、毛髪や雰囲気でわかったが、20年前には言葉でしか区別がつかなくなって、今に至っている。
その後もどんどん人の移動と交流が進んで、日本にいても、外見で国籍を判定することが不可能となり無意味に思えるようになった。日本国籍を有する人にも肌の色や体型に多様性が広がり、しかも、それを身近に実感するようになった。
アメリカに行ったとき、アメリカは移民国家でいろいろな人が住んでいるから、私がジャパニーズに見えても、アメリカに住んでいるジャパニーズアメリカンであるという前提の内容でもって、英語で、話しかけられた。ちょっと驚いたけれど、それが教養あるアメリカ人の礼儀なのだとわかった。
今、日本にいて、私も、外見が50年前の日本人一般とは異なる人であっても、日本語で話しかけるのが礼儀になってきたかもしれない、と思っている。こんな時代の変化を面白く受け止めている。